体育委員会活動記      辛川 史人


  昭和47年だったと思います。

  学友会傘下にあった、体育会委員会/文化会委員会が、

  それぞれ委員会として正式に独立。

  当時、体育会系のサークル数は14,5個存在していたと思います。

  部室も満足に無い状況でした。

  昭和48年、うなぎの寝床みたいなプレハブの部室が

  完成し、少し落ち着きました。

  私が、体育委員長(スピードスケート所属)を拝命した頃、
  熊本五大学連盟(熊工大、熊大、商大、女子大、東海短大の5大学で構成)の活動が活発で、

  県内大学のスポーツの向上とスキルUPを目標に積極的に展開していました。

  当時は圧倒的に商大が強かったですね。

  熊工大は、射撃部やスピードスケート部と言ったマイナーなサークルが多く、
  他大学には存在してなかったので、

  スピードスケートに所属していた自分としては、

  試合が無いため寂しい思いをしました。

  五大学連盟の活動として、各大学との交流が活発で、各体育委員会と懇ろになりました。

  熊大は武夫原近くにある委員会室へは入り浸り、商大の50円カレーは工大のカレーより
  旨かった記憶があります。

  女子大、東海短大も結構、出入りしてました。

 
  また、九州インカレでは、各サークルの試合会場へ応援に行きました。

  学友会号(トヨタハイエース)を自分で運転して廻ったものです。

  特に記憶にあるのは、

  九工大、九産大、鹿大、大分大、宮崎大の各試合会場への応援に
  駆け付けたのはよく覚えています。


  それから、エピソードとしては、

  各部のコンパに、差し入れを持って廻るのですが(一升瓶を風呂敷に包んで)、

  剣道部、柔道部、空手部、応援団、野球部等は、盃の返杯が凄く、

  一発で酔っぱらっていましたね。

  急性アルコール中毒で、救急車で運ばれた部員を何人がいました。

  当時の各部部員で覚えている方(主将クラス)および、バックアップしてくれた

  学友会/体育委員会の面々を示します(敬称略)。

  記憶だけなので、間違ってるかも知れませんが、

  各部の部費折衝を始め、五大学連盟の試合日調整、インカレ出場調整、
  各部主催のダンスパーティー調整等々忙しい毎日でした。


  参考までに、当時のサークル/学友会・体育委員会の主だった方を掲載しておきます。

  【体育サークル】

   ・スピードスケート部  S46卒  火野坂

   ・体操部  S47卒  前山博昭

   ・柔道部  S47卒  木田良次

   ・サッカー部  S47卒  千間勝巳

   ・野球部  S48卒  船越

   ・射撃部  S49卒  大串知光

   ・自動車部  S48卒  本田

   ・剣道部  S48卒  木下文男

   ・少林拳法部  S50卒  坂根亘

   ・応援団  S49卒  小林義昭

  【学友会/体育委員会役員】

   ・S49卒  遠坂彰

   ・S47卒  隈元孝

   ・S50卒  池田勝人

   ・S50卒  井手哲次

   ・S47卒  藤田達志

   ・S49卒  秋丸政義

   ・S47卒  松本義久

   ・S48卒  小宮竹雄